第6章 自由 | 戸田山和久『哲学入門』
人間特有の現象とされる
価値があるとされる
なぜ問題か
形而上学の伝統的問題である
神学的決定論
物理学的決定論
可知/不可知(物自体)の世界
本書はこのアプローチは取らない
強敵
「心は計算メカニズムである」
形而上学的決定論
自由のリアリティを毀損するには機械的な自己理解で足りる
自己理解の対立
責任ある自由な行為主体
認知計算メカニズム
現象には自由はない
行為もありえない
→いかに自由を回復するか
3つの立場
特徴
関連性のユニークな論点
決定論の必要性を強調
改訂的
↔概念のインフレ(特にリバタリアン)
行為者に究極原因を求める
第一動者
第一原因、神かな?wint.icon
世界と概念が対立したら概念の方を改訂せよ
インフレさせない
worth wanting
これを説得する
一般の哲学議論アプローチを学べる
議論が概念のインフレを招いて洗脳になってないか
too much, too big
シラフにもどれ
dual: 不可避性
不可避⇔他行為可能性なし
つまり自由ではない(非両立論の議論)
cf. ランダムネスの議論
量子力学と自由
確率的事象
ミクロな非決定性
偶然には自由も責任もなさそう
これは放縦
→非決定的でも偶然の産物は自由とは呼ばない
自己コントロール性がないから
(上に戻る)
デネットの自由論(続)
自由意志とは自己コントロール能力のことだ
自己コントロール能力は表象とともに進化してきた
他行為可能性の要求を弱める
自己コントロールの混乱を整理する
2種類のコントロール:
信頼性のある反映とリアクション
任意の可能状態への強制
別のエージェントによる
自己コントローラー
e.g. 探索する人工衛星、ローバー
システムのコントロールの様式(決定され方)と物理的な決定性は独立した話
決定論は自己コントロールの障害ではない
環境(内部環境)はエージェントじゃないので、エージェントをコントロールしない
カテゴリー錯誤
あるいは間違った擬人化
→決定論は自由(自己コントロール)と両立可能
自由に足りないもの
e.g. 人工衛星に自由はない
候補
合理性
生き物は既に意味に反応してる
「理由によって行動する」⇔(時間差もある)因果的影響による反応
ここまで因果律への違反はない
「理由によって行動すること」と「物理的原因によって動かされること」は両立する
進化的漸進主義
なにが違う
目的と信念の表象
更に組み合わせての目的手段推論
意義
反省的理由は、 自分自身の目的までをコントロールすることを可能にした
理由(=目的に導かれること)に依る行動
決定論と対立しない(再掲)。ここでは両立する。
反省的検討
人間らしい自由の条件
言語能力が前提?
決定論 or 宿命論
他行為可能性・可避性
推論: 他行為不可能性⇒自由意志の否定
対偶: 自由意志⇒他行為可能性
本当?
自由に選ばなくても強制する。自由は前提にならない
⇒誤謬
責任(自由)は他行為可能性を含まない
ここまではよくある両立論
回避(可避性・不可避性)
ラプラスのデモンには無意味
有限の行為者には意味をなす
検討して介入できるかで分類する
決定的・非決定的、可避的・不可避的は違う
検討の有無が不可避に関わる
自己コントロール
むしろ決定論的な物理世界は前提
進化の産物
形而上学的インフレはダメ
持つに値しない自由
↔デフレ版が求められる
まだ足りないのはなにか
道徳に大事なもの
ただの自己コントローラーには責任は問わない
─────
以下、適宜上にマージすること
自由なエージェント
物理的メカニズムとは別の話し
自己コントロール能力の話し
人間の自由 = 反省的自由
インフレさせない
慎ましく、必要十分に
自己コントロールのインフレ → e.g. 行為者因果
目的の表象
→目的のコントロール
誤謬
自由⇒他行為可能性
有限情報なので、(不)可避性は意味がある
決定的でも変わらない
検討によるコントロール可能性の観点
自己コントローラーである
反省→改善
反省的検討
reprogramming oneself
エージェントはまだ責任を取れない
両立できる
メカニズム決定論、機械論
物理的原因
他行為可能性とは別の話
自分の解釈wint.icon
責任ゲームの参加者⇒自由の称号に値する
次を待て